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昨日の続きですが(笑)、イタリアの中産階級特にアッパーミドル階層が趣味と実益を兼ねて、モルト蒸留所の良い樽から特別にボトリングしてもらって買ったり、ボトラーを自ら始めたり。なかなかの好きものぶりを発揮(笑)。
でもですね(笑)、日本にも一人いました!
自分のために自ら代理店になった人がいます(笑)。もちろんご本人はそんなことを吹聴などしませんが。
誰あろう白洲次郎さんです。吉田茂の懐刀として有名ですね。
じつはグレンファークラスを愛しており、自ら日本に輸入しておりました。もちろん商社東洋綿花(今の豊田通商)を窓口に輸入していたそうです。年間10ケースくらい輸入していたのかな。往時ウイスキーは酒税の高い超高級品。ジョニ黒やジョニ赤がウイスキーの王様のように光り輝いていたし、ましてや日本人は誰もモルトウイスキーなど知らなかった時代です。
白洲さんが正確に何時頃ファークラスの輸入を始めたのかは解りませんが、本物の紳士たるものの楽しみだったのでしょうね。吉田茂の薫陶だったのかな(笑)?
1950∼60年代蒸留のファークラスは目玉が飛び出るほど美味しかった(笑)。後からこの話を知り、『さもありなん。』と思いましたね(笑)。我々はそのおこぼれをいただいていたのかな(笑)。
私はこの話、東洋綿花がトーメンになった後に聞いたように記憶しています。